日本に来て、「中国語」という言い方に慣れ、おかしいと思ったりしたことがなかったが、最近、ある日本人に「美味しい」は広東語では「ホウッセイ」と言うが、中国語ではなんと言うの?」と聞かれた時に一瞬迷ってしまった。
なぜなら、広東語に対して、上海語、福建語、北京語などなどが挙げられるが、それに対して「中国語」という単位で挙げるのが妙な感じであった。
中国は56民族があり、その中55民族が少数民族である。56民族はそれぞれの言語を持ち、何千種類の言語も存在すると言われているが、統一した「中国語」と言う言葉が存在しない。
ただ、56民族の中、漢民族は最も人口が多く、「漢語」の言語も最も使われている。中国ではそれを「中国語」ではなく、「漢語」と呼ぶ。ちなみに、中国では日本語のように「国語」という言い方もなく、「語文」という呼び方をしている。
では、なぜ日本語では「中国語」という呼び方に関して、問題になってないのか。それは、他の国の言葉を国名の後に+「語」と言う規則にしたがって、分かりやすくするためであると考えられる。
例えば、日本の言語を「日本語」であるように、同じように「フランス語」、「ドイツ語」、「スペイン語」などのように表記しているように、中国の言語を「中国語」で表記しているのではないか??
ただし、中国人にとって、「中国語」と言えば、中国の「普通語」をまず頭に浮かんでくる。各地に方言がいっぱいあるが、学校で主に「普通語」で授業を行っている。
多民族、多言語を持つ中国では、言語政策も極めて重要な課題である。
去年、夏休み一度帰国して、テレビを見てびっくりしたことがあった。それは、昔はテレビなどの媒体はその地方の方言でニュースを報道されたが、現在は、「普通語」でしなければならない規制になっているそうだ(ドラマなどはまだ方言で放送しているが)。
この状態によって、小言語(方言)はどんどん失いつつあると言う声もある。
中国の言語政策によって、将来的には、中国国内の「普通語」は「中国語」になっていくのではないかと個人的に思っている。
2008年05月31日
2008年05月17日
悲しみ・絶望を力・光に変えよう!!!
中国は5月12日、四川省をはじめ、大地震を発生した。
現地には行ってないのだが、その悲しみ・絶望さを実感し、心の痛みを感じる。
被害者のために、何かをやってあげたい気持はいっぱいあるが、何もできない自分に対して切ないと感じる。
こんな時こそ、お金持ちになりたい気持が強く沸いてくる。
もしお金持ちであれば、せめて経済的な援助は少なくとも少しできるのではないかと思う。
今回の大地震で、日本側が物質的な援助も人的な援助も精一杯行っていることに対して、中国人である私は、非常に感謝の気持でいっぱいである。
みんなの懸命な救助をしているにも関わらず、多くの命を助けられなかったことに非常に残念で、言葉では表せない。
現在の私は何もできないけど、被災地の回復活動のために、何かをできるように今から考え、実施していきたい。
また、日中間は長い間、微妙な関係が続いてきたが、今回の日本側の犠牲を恐れず、中国の深刻な被害地に立ち入り、被害者を助けに行くことをきっかけに、本当の日中友好関係を築けることを祈る。
深刻な被害地での被害者は悲しみと絶望に襲われ続け、長時期間に渡って、こんな状態が続いていくと思われる。
被害者達の悲しみと絶望を力と光に変える唯一のものは人間の「愛」「暖かさ」だと思う。
こんな時こそ、力がある方は力で、お金がある方はお金で、被害者たちを助けていくことが大事だと思う。
暖かい手を出し、助け合って、悲しみ・絶望を力・光に変えよう!!
私達一人一人が何かできるか、考えていくだけではなく、行動に移していこう。
※私のホームページを紹介します。
入管専門サイト
日中翻訳・通訳サイト
現地には行ってないのだが、その悲しみ・絶望さを実感し、心の痛みを感じる。
被害者のために、何かをやってあげたい気持はいっぱいあるが、何もできない自分に対して切ないと感じる。
こんな時こそ、お金持ちになりたい気持が強く沸いてくる。
もしお金持ちであれば、せめて経済的な援助は少なくとも少しできるのではないかと思う。
今回の大地震で、日本側が物質的な援助も人的な援助も精一杯行っていることに対して、中国人である私は、非常に感謝の気持でいっぱいである。
みんなの懸命な救助をしているにも関わらず、多くの命を助けられなかったことに非常に残念で、言葉では表せない。
現在の私は何もできないけど、被災地の回復活動のために、何かをできるように今から考え、実施していきたい。
また、日中間は長い間、微妙な関係が続いてきたが、今回の日本側の犠牲を恐れず、中国の深刻な被害地に立ち入り、被害者を助けに行くことをきっかけに、本当の日中友好関係を築けることを祈る。
深刻な被害地での被害者は悲しみと絶望に襲われ続け、長時期間に渡って、こんな状態が続いていくと思われる。
被害者達の悲しみと絶望を力と光に変える唯一のものは人間の「愛」「暖かさ」だと思う。
こんな時こそ、力がある方は力で、お金がある方はお金で、被害者たちを助けていくことが大事だと思う。
暖かい手を出し、助け合って、悲しみ・絶望を力・光に変えよう!!
私達一人一人が何かできるか、考えていくだけではなく、行動に移していこう。
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2008年04月13日
「丸い」たこ焼き、「○」人間関係
昨日、友人のお宅でたこ焼きパーティーをした。
たこ焼きといえば、大阪人の大好物だそうで、各家庭はほぼたこ焼き器を持っているそうだ。
たこ焼きは店でしか食べたことがないので、私にとってはとても新鮮。
たこ焼きの特徴の一つとして、最初に焼いた分は鉄板の温度の関係なのか、ほとんど失敗作品になり(形がきれいに丸くならない)ました。
しかし、焼く回数が増えることによって、徐々に美味しくなる、とたこ焼きの達人が言っていた。
昨日のたこ焼きパーティーでも、この達人の方の言うとおりになっている。
これは面白いと思った。なぜなら、たこ焼きは自宅でやろうとしたら、一人か二人ではなかなか美味しいものができないと分かったからだ。
少人数でやると、ちょうど美味しくなっていく2回目か3回目ぐらいに御腹がいっぱいになるということ。
つまり、たこ焼きは多人数でする方が美味しくできるといえる。
以上のことによって、たこ焼きは親しい人間関係を保つ大切な文化であることを感じた。みんなで一緒に食べた方が美味しく食べられるし、コミュニケーションもとれる。また、たこ焼きは焼くことによって、丸くないものを丸く「○」収まることから、たこ焼きは人間関係の「○」を作っていることを連想させている。
人間関係も同じだ。
最初は「丸くない」が、努力と受け入れによって、「○」収まっていく。
それは「和」と呼ぶか、「輪」と呼ぶか、あるいは「円」というかはあなたにお任せ!!!
※私のURLをご紹介いたします。
翻訳・通訳専門サイト:http://t93i.com
入管専門サイト:http://ac93i.com
どうぞご覧になってくださいね!
たこ焼きといえば、大阪人の大好物だそうで、各家庭はほぼたこ焼き器を持っているそうだ。
たこ焼きは店でしか食べたことがないので、私にとってはとても新鮮。
たこ焼きの特徴の一つとして、最初に焼いた分は鉄板の温度の関係なのか、ほとんど失敗作品になり(形がきれいに丸くならない)ました。
しかし、焼く回数が増えることによって、徐々に美味しくなる、とたこ焼きの達人が言っていた。
昨日のたこ焼きパーティーでも、この達人の方の言うとおりになっている。
これは面白いと思った。なぜなら、たこ焼きは自宅でやろうとしたら、一人か二人ではなかなか美味しいものができないと分かったからだ。
少人数でやると、ちょうど美味しくなっていく2回目か3回目ぐらいに御腹がいっぱいになるということ。
つまり、たこ焼きは多人数でする方が美味しくできるといえる。
以上のことによって、たこ焼きは親しい人間関係を保つ大切な文化であることを感じた。みんなで一緒に食べた方が美味しく食べられるし、コミュニケーションもとれる。また、たこ焼きは焼くことによって、丸くないものを丸く「○」収まることから、たこ焼きは人間関係の「○」を作っていることを連想させている。
人間関係も同じだ。
最初は「丸くない」が、努力と受け入れによって、「○」収まっていく。
それは「和」と呼ぶか、「輪」と呼ぶか、あるいは「円」というかはあなたにお任せ!!!
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2008年04月04日
どちらの翻訳のほうが難しいかな???
どちらの翻訳のほうが難しいかな???
翻訳といえば、3つに分かれています。
1つ目は、言語内の翻訳です。例えば、日本語の古文などのような難しい文章を、より多くの人が読めるように、分かりやすい表現に変えることです。
2つ目は、言語間の翻訳です。これは一般に言われる翻訳です。例えば、日本語から中国語に翻訳すること(つまり、異なる言語間の翻訳)を指します。
3つ目は、記号間の翻訳です。少しイメージしにくいかもしれません。
例を挙げてみますと、イラストの内容を言語や音楽などの全く違う記号を表すことを意味します。
このブログで問題提起している翻訳は2番目の言語間の翻訳を指します。
一般文章(日常会話も含む)の翻訳と専門分野の翻訳の2者のうちに、どちらの翻訳の方が難しいか否か皆さんは考えたことありますか?
私は考えもせずに、専門分野の翻訳が難しいと思ってきました。
しかし、実際一般の手紙を翻訳してみると意外と難しいことが分かりました。
なぜなら、日常会話の中には、言語を超える深い意味を持つ場合が多いです。
特にハイ・コンテクスト(高い文脈)の文化を持つ日本語を訳すときは一苦労します。
例えば、A子さんはBさんから素敵なプレゼントを貰ったとしましょう。
こんな時、A子さんはBさんに感謝の気持ちを伝えると想像できます。
「ありがとう!」といえば、英語で訳すと「Thank you!」で、中国語に訳すと「謝謝!」になると思います。これらの翻訳文に違和感はないはずです。
しかし、日本語としてA子さんは「すみません!」と語る可能性も高いです。前後の文脈を把握せずに「すみません」を直訳すれば、英語では「Sorry!」,中国語では「対不起!」になります。これらの訳語なら、「なぜ謝るだろう」と不思議な気持ちを持つ人もいっぱいでしょうね。やはり「すみません」といっていますが、「ありがとう」のようなニュアンスで翻訳しなきゃ、誤解を招いてしまうでしょ。
このような例は、日本文化の日常生活に数えられないほどいっぱいあるでしょう。この場合の翻訳においては、言語そのものを超えているといえるのではないでしょうか?!
ところが、専門用語なら、恐らくこのようなことがないのでは?!「憲法」なら、英語では「constitution」になるはずです。中国語では「憲法」(中国語の簡体字になるが、このブログには簡体字が表記できないようです)に訳されるでしょう。
専門用語の対象物はしっかりしています。専門分野の知識を持っているなら、専門用語(専門分野)の翻訳のほうが断然簡単であるといえるでしょう。
ただし、専門分野の翻訳において、もし専門知識を持たなければ、翻訳が難しいところか、翻訳自体が不可能といってもいいでしょう。
※私のURLをご紹介いたします。
翻訳・通訳専門サイト:http://t93i.com
入管専門サイト:http://ac93i.com
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2つ目は、言語間の翻訳です。これは一般に言われる翻訳です。例えば、日本語から中国語に翻訳すること(つまり、異なる言語間の翻訳)を指します。
3つ目は、記号間の翻訳です。少しイメージしにくいかもしれません。
例を挙げてみますと、イラストの内容を言語や音楽などの全く違う記号を表すことを意味します。
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一般文章(日常会話も含む)の翻訳と専門分野の翻訳の2者のうちに、どちらの翻訳の方が難しいか否か皆さんは考えたことありますか?
私は考えもせずに、専門分野の翻訳が難しいと思ってきました。
しかし、実際一般の手紙を翻訳してみると意外と難しいことが分かりました。
なぜなら、日常会話の中には、言語を超える深い意味を持つ場合が多いです。
特にハイ・コンテクスト(高い文脈)の文化を持つ日本語を訳すときは一苦労します。
例えば、A子さんはBさんから素敵なプレゼントを貰ったとしましょう。
こんな時、A子さんはBさんに感謝の気持ちを伝えると想像できます。
「ありがとう!」といえば、英語で訳すと「Thank you!」で、中国語に訳すと「謝謝!」になると思います。これらの翻訳文に違和感はないはずです。
しかし、日本語としてA子さんは「すみません!」と語る可能性も高いです。前後の文脈を把握せずに「すみません」を直訳すれば、英語では「Sorry!」,中国語では「対不起!」になります。これらの訳語なら、「なぜ謝るだろう」と不思議な気持ちを持つ人もいっぱいでしょうね。やはり「すみません」といっていますが、「ありがとう」のようなニュアンスで翻訳しなきゃ、誤解を招いてしまうでしょ。
このような例は、日本文化の日常生活に数えられないほどいっぱいあるでしょう。この場合の翻訳においては、言語そのものを超えているといえるのではないでしょうか?!
ところが、専門用語なら、恐らくこのようなことがないのでは?!「憲法」なら、英語では「constitution」になるはずです。中国語では「憲法」(中国語の簡体字になるが、このブログには簡体字が表記できないようです)に訳されるでしょう。
専門用語の対象物はしっかりしています。専門分野の知識を持っているなら、専門用語(専門分野)の翻訳のほうが断然簡単であるといえるでしょう。
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2008年03月26日
席の配置に関して〜日中の差異〜
皆さんは中国でタクシーを乗った経験や友達の車に乗ったことがあるだろうか?
あるなら、以下のことに気づかなかっただろうか?
中国のタクシーは、通常であれば、運転席の隣の席をお客さんに座ってもらう。
しかし、日本の場合は、後の席に座ってもらうのが礼儀であるようだ。
また、前の席は一番いい席であるから、来客に対して、中国では運転手の隣の席を譲るのが礼儀である。
それに対し、日本は運転手の後ろの席にするのが礼儀であるらしい。
なぜなら、後の席は一番安全であるとのことである。
また、結婚式の場合は、中国では一番奥の席(つまり一番偉いさんに座ってもらう席)は新婦・新郎の親の席になる。祖父母がいらっしゃる場合は祖父母になる。
なぜなら、父母(祖父母)がいるからこそ、新郎・新婦がいるという考え方を持っている。もっとも、中国と異なり日本は、父母が末席に配置するのが常識であるようだ。
日中国際結婚の場合であれば、両方の親の席の配置を考えるのも大切なポイントの1つになろう。
*地方により、習慣が異なる場合があるので、以上は私の経験に基づくものです。
以上、席の配置に関する日中間の差異である。
※私のURLをご紹介いたします。
翻訳・通訳専門サイト:http://t93i.cm
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中国のタクシーは、通常であれば、運転席の隣の席をお客さんに座ってもらう。
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それに対し、日本は運転手の後ろの席にするのが礼儀であるらしい。
なぜなら、後の席は一番安全であるとのことである。
また、結婚式の場合は、中国では一番奥の席(つまり一番偉いさんに座ってもらう席)は新婦・新郎の親の席になる。祖父母がいらっしゃる場合は祖父母になる。
なぜなら、父母(祖父母)がいるからこそ、新郎・新婦がいるという考え方を持っている。もっとも、中国と異なり日本は、父母が末席に配置するのが常識であるようだ。
日中国際結婚の場合であれば、両方の親の席の配置を考えるのも大切なポイントの1つになろう。
*地方により、習慣が異なる場合があるので、以上は私の経験に基づくものです。
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2008年03月04日
日本語の漢字の読み方及び意味に関する考察
漢字の国である中国人日本語学習者は、漢字に関する習得は容易であるという考え方に陥りがちである。実際はどうであろうか。ここでは日本の漢字の読み方と意味の理解について考察し、中国人の日本語学習者にとって難しいであろうと考えられるポイントをまとめてみたい。
1 訓読みと音読みを持つ日本語の漢字について
訓読みも音読みもできる漢字について、私を含む中国人の日本語学習者は、母語の影響なのか、音読みにする傾向がある。また、訓読みと音読みによる意味の違いをなおざりにしてしまうケースもしばしば見られる。
例えば:「小人」の訓読みは「コビト」、音読みは「ショウジン」である。広辞苑によると、小人「コビト」の意味は3つの意味がある。「@丈のひどく低い人。A伝説・物語などに出てくる体の小さい想像上の人間。B武家に使われた走り使いの者」。また小人「ショウジン」の意味は5つの意味があり、「@年若い人。少年。こども。C徳・器量のない人。小人物。⇔君子⇔大人」。紙ペースの関係で1番と4番の意味のみ記載する。
私は何人かの中国人の日本語学習者に、「小人」の読み方と意味を聞いてみた。その結果、中国人は「小人」の読み方は混同し、意味もはっきり把握していないことが分かった。例えば、「コビト」と読み、「徳・器量のない人」という意味で理解している人も存在し、「ショウジン」と読み、「丈のひどく低い」という意味で理解している人もいる。これは単に一つの例に過ぎないであろうが、このような漢字の読み方と意味の理解は中国人の日本語学習者にとっては、難点の1つであると考えられる。
2 同じ音読においても呉音と漢音に別れ、読み方について混同しやすい。
私は「罰」の読み方は「バツ」だけであると思ってきた。しかし、去年夏にテレビを見るとき、ある年寄りは御神輿に乗っている若者達に対して、「神様からバチがあたるよ」と言った。「バチ」は「バツ」と同じ意味なのかについて調べてみた。広辞苑によると、「バチ」は呉音で、「神仏が、人の悪行を罪してこらすこと」という意味である。「バツ」は「罪または過ちのあるものに科する懲らしめ」と解釈している。中川2005『漢語からみえる世間と世界』によると、「バツ」と「バチ」の区別について、以下のように陳述した。「「バツ」は、学校や警察が下すもの、つまり与え側が明確である。それに対して「バチ」はどこからくるかわからない、自然現象のようなものである」。私はこのような違いについて日本語教育として受けたことがなかった。
また、「人」は漢語で「ジン」と読み、例えば日本人、中国人、芸能人などが挙げられる。呉音においては「ニン」と読み、例えば管理人、職人、被告人などがある。「ジン」と「ニン」の読みわけのルールはないのか。野村雅昭「同字異訓」によると、人を「ニン」と読む場合は『管理する人』のように動作を表し、「ジン」と読む場合は「○○」の部分が名詞的、あるいは形容詞的であると指摘した。また、中川2005では「ジン」は分類的である。人種などの変更不可能な人間の属性をいっている。それに対して「管理人」などは人間の分類ではない。勤務が終われば「管理人」というラベルを取り払うことも可能である主張した。
みてきたように、同じ漢字においても読み方の違いによって、意味が変わる。この習得は外国人学習者にとって非常に難しいと思われる。特に漢字圏の日本語学習者は読み方においても、意味の理解においても謙虚な態度が足りないと言えよう。私自身も漢字に対して何となく分かる場合は、その読み方や意味について確認しないことが多い。このような態度を直さなければ、言語学習者としては失格と言っても過言ではなかろう。
1 訓読みと音読みを持つ日本語の漢字について
訓読みも音読みもできる漢字について、私を含む中国人の日本語学習者は、母語の影響なのか、音読みにする傾向がある。また、訓読みと音読みによる意味の違いをなおざりにしてしまうケースもしばしば見られる。
例えば:「小人」の訓読みは「コビト」、音読みは「ショウジン」である。広辞苑によると、小人「コビト」の意味は3つの意味がある。「@丈のひどく低い人。A伝説・物語などに出てくる体の小さい想像上の人間。B武家に使われた走り使いの者」。また小人「ショウジン」の意味は5つの意味があり、「@年若い人。少年。こども。C徳・器量のない人。小人物。⇔君子⇔大人」。紙ペースの関係で1番と4番の意味のみ記載する。
私は何人かの中国人の日本語学習者に、「小人」の読み方と意味を聞いてみた。その結果、中国人は「小人」の読み方は混同し、意味もはっきり把握していないことが分かった。例えば、「コビト」と読み、「徳・器量のない人」という意味で理解している人も存在し、「ショウジン」と読み、「丈のひどく低い」という意味で理解している人もいる。これは単に一つの例に過ぎないであろうが、このような漢字の読み方と意味の理解は中国人の日本語学習者にとっては、難点の1つであると考えられる。
2 同じ音読においても呉音と漢音に別れ、読み方について混同しやすい。
私は「罰」の読み方は「バツ」だけであると思ってきた。しかし、去年夏にテレビを見るとき、ある年寄りは御神輿に乗っている若者達に対して、「神様からバチがあたるよ」と言った。「バチ」は「バツ」と同じ意味なのかについて調べてみた。広辞苑によると、「バチ」は呉音で、「神仏が、人の悪行を罪してこらすこと」という意味である。「バツ」は「罪または過ちのあるものに科する懲らしめ」と解釈している。中川2005『漢語からみえる世間と世界』によると、「バツ」と「バチ」の区別について、以下のように陳述した。「「バツ」は、学校や警察が下すもの、つまり与え側が明確である。それに対して「バチ」はどこからくるかわからない、自然現象のようなものである」。私はこのような違いについて日本語教育として受けたことがなかった。
また、「人」は漢語で「ジン」と読み、例えば日本人、中国人、芸能人などが挙げられる。呉音においては「ニン」と読み、例えば管理人、職人、被告人などがある。「ジン」と「ニン」の読みわけのルールはないのか。野村雅昭「同字異訓」によると、人を「ニン」と読む場合は『管理する人』のように動作を表し、「ジン」と読む場合は「○○」の部分が名詞的、あるいは形容詞的であると指摘した。また、中川2005では「ジン」は分類的である。人種などの変更不可能な人間の属性をいっている。それに対して「管理人」などは人間の分類ではない。勤務が終われば「管理人」というラベルを取り払うことも可能である主張した。
みてきたように、同じ漢字においても読み方の違いによって、意味が変わる。この習得は外国人学習者にとって非常に難しいと思われる。特に漢字圏の日本語学習者は読み方においても、意味の理解においても謙虚な態度が足りないと言えよう。私自身も漢字に対して何となく分かる場合は、その読み方や意味について確認しないことが多い。このような態度を直さなければ、言語学習者としては失格と言っても過言ではなかろう。
2008年01月08日
おせっち料理についての感想
日本の正月の料理といえば、豪華なおせち料理なのではないか。
スーパーに行けば、様々な大きさと縁起のいいおせち料理を揃えている。例えば、昆布はその一つである。言葉の発音からの発想であろうか、「よろこぶ」という意味にするそうだ。また、蓮根はその形からの発想なのか、「見通しがいい」という意味にするという話を聞いた。
これは実に面白い。食べ物そのものは文化のシンボルなのではないか。
中国なら、地方によってかなり異なるが、大体は北の方は家族みんなで餃子を楽しむとのイメージがある。南の方になると、大晦日には必ず魚という料理が登場するだろう。その理由は言葉の発音を活かし、「魚yu」と余裕の「余yu」と同じ発音で、毎年の大晦日に「魚」料理を登場することで「年年有魚⇒年々有余(毎年余裕のある生活)」という意味をする。それは人々の心からの願いも含めていると考えられる。
私は日本のおせち料理は冷たくて、寒い正月に食べようとしない。せっかく家族みんなで集められる正月だから、家族みんなで暖かく美味しく料理を食べたい。豪華なんか求めるのではなく、その料理の暖かさと家族一緒にいる暖かさを求めたい。
その国の人間関係も料理と同じなのか。私は日本に生活してもうすぐ6年間になるけど、日本人はおせち料理のように、きれいでそれぞれ1品1品で冷たい。中国人は鍋料理(餃子とかもいいかも)お互いに気にせずに一緒にいられて暖かい。
日本でずっと生活していくならば、私は今まで持っている「文化」を変えていく必要があるのか。しかし変えたくない気持ちのほうが強い!!!
スーパーに行けば、様々な大きさと縁起のいいおせち料理を揃えている。例えば、昆布はその一つである。言葉の発音からの発想であろうか、「よろこぶ」という意味にするそうだ。また、蓮根はその形からの発想なのか、「見通しがいい」という意味にするという話を聞いた。
これは実に面白い。食べ物そのものは文化のシンボルなのではないか。
中国なら、地方によってかなり異なるが、大体は北の方は家族みんなで餃子を楽しむとのイメージがある。南の方になると、大晦日には必ず魚という料理が登場するだろう。その理由は言葉の発音を活かし、「魚yu」と余裕の「余yu」と同じ発音で、毎年の大晦日に「魚」料理を登場することで「年年有魚⇒年々有余(毎年余裕のある生活)」という意味をする。それは人々の心からの願いも含めていると考えられる。
私は日本のおせち料理は冷たくて、寒い正月に食べようとしない。せっかく家族みんなで集められる正月だから、家族みんなで暖かく美味しく料理を食べたい。豪華なんか求めるのではなく、その料理の暖かさと家族一緒にいる暖かさを求めたい。
その国の人間関係も料理と同じなのか。私は日本に生活してもうすぐ6年間になるけど、日本人はおせち料理のように、きれいでそれぞれ1品1品で冷たい。中国人は鍋料理(餃子とかもいいかも)お互いに気にせずに一緒にいられて暖かい。
日本でずっと生活していくならば、私は今まで持っている「文化」を変えていく必要があるのか。しかし変えたくない気持ちのほうが強い!!!
2007年12月27日
外国人と日本人の間の子供はどちらの国籍になるのかな?
昨日、友人たちと忘年会をして、盛りたくさんの話の中に、こんな話が出た。
「日本人と結婚して、子供ができた場合、その子供の国籍はどちらになるのかな?」に対して、それぞれの見方を述べたが、どうもずれているのではないかと思い、早速調べてみた。
結論から言うと、日本人との間の子供は20歳までに、二重国籍をもつことができる。ただし、22歳までには、二重国籍を解消するため、国籍を決めなければならない。日本国籍を選択した場合は、外国の国籍を放棄する旨の宣言を行わなければならない。又、国籍を選択しようとするものは15歳未満の場合は、法定代理人である両親が代わって行うことになる。
それでは、日本国籍の取得について、もう少し詳しく記述する。
国籍の取得に関しては大きく二つの主義に分かれる。一つ目は、血統主義(親の国籍を基礎に子供の国籍を決める)、二つ目は生地主義(子供の出生地を基礎に国籍を決める)。日本や中国などは血統主義に当たり、アメリカなどは生地主義に当たる。
日本の国籍の取得に関しては、国籍法二条によれば、出生時に父又は母が日本国民である場合には、その子も日本国民となる。
国際結婚の場合であれば、子供の国籍も一つ悩みになるかもしれないね。
「日本人と結婚して、子供ができた場合、その子供の国籍はどちらになるのかな?」に対して、それぞれの見方を述べたが、どうもずれているのではないかと思い、早速調べてみた。
結論から言うと、日本人との間の子供は20歳までに、二重国籍をもつことができる。ただし、22歳までには、二重国籍を解消するため、国籍を決めなければならない。日本国籍を選択した場合は、外国の国籍を放棄する旨の宣言を行わなければならない。又、国籍を選択しようとするものは15歳未満の場合は、法定代理人である両親が代わって行うことになる。
それでは、日本国籍の取得について、もう少し詳しく記述する。
国籍の取得に関しては大きく二つの主義に分かれる。一つ目は、血統主義(親の国籍を基礎に子供の国籍を決める)、二つ目は生地主義(子供の出生地を基礎に国籍を決める)。日本や中国などは血統主義に当たり、アメリカなどは生地主義に当たる。
日本の国籍の取得に関しては、国籍法二条によれば、出生時に父又は母が日本国民である場合には、その子も日本国民となる。
国際結婚の場合であれば、子供の国籍も一つ悩みになるかもしれないね。
2007年12月20日
「就学」と年齢・地域の関係
日本に留学したい場合、年齢制限がないのかと、中国にいる友人に聞かれた。
確認した結果、原則としては、年齢の制限がない。ただし、就学の場合(例えば日本語学校に通うこと)は最終卒業から5年以内であることは条件になっている。5年以上になると、申請できないわけではないが、きちんとした理由書を書かなければならない。さらに、申請の許可は普通より難しいといわれている。
また、「就学」の在留資格を取る場合は、その国の地域によって、厳しさが異なるようだ。中国の場合は、北京、上海、天津、哲江、広東などの省においては、「就学」の在留資格の審査が比較的に緩めているそうだ。つまり、在留資格の申請許可を比較的に取りやすい。
上記の地域は、中国で最も経済的に豊かな地域になる。経済能力(支弁能力)の有無は外国人の在留資格は取れるかどうかに関して最も重要な要素の1つである。
経済的な格差は、地域の格差をもたらす。その中、在留資格の許可の難易も格差の1つのではないだろうか。
ただし、制度そのものは常に変化しているので、より多くの人が生活しやすく、格差も縮小になっていけば、いいなと思う。
確認した結果、原則としては、年齢の制限がない。ただし、就学の場合(例えば日本語学校に通うこと)は最終卒業から5年以内であることは条件になっている。5年以上になると、申請できないわけではないが、きちんとした理由書を書かなければならない。さらに、申請の許可は普通より難しいといわれている。
また、「就学」の在留資格を取る場合は、その国の地域によって、厳しさが異なるようだ。中国の場合は、北京、上海、天津、哲江、広東などの省においては、「就学」の在留資格の審査が比較的に緩めているそうだ。つまり、在留資格の申請許可を比較的に取りやすい。
上記の地域は、中国で最も経済的に豊かな地域になる。経済能力(支弁能力)の有無は外国人の在留資格は取れるかどうかに関して最も重要な要素の1つである。
経済的な格差は、地域の格差をもたらす。その中、在留資格の許可の難易も格差の1つのではないだろうか。
ただし、制度そのものは常に変化しているので、より多くの人が生活しやすく、格差も縮小になっていけば、いいなと思う。
2007年12月17日
日本=金持ち???
日本=金持ち???
5年前に、日本に留学することを決める時、自国の知り合いたちがみんなびっくりした。「日本に留学?!金持ちね」とよく言われた。本当は金持ちなんで、私には遠い。ただ、自分の力で頑張って、働いて日本留学する目標を実現したく、留学しただけである。
これから、日本に来て、また周りの日本人が驚いた表情を見せ、「日本に留学できるっていうことは、李さんは金持ちの家で生まれたでしょう」。こんなことがない。私は小学校に通うためでさえ、借金をしなければならない寒村で生まれた。日本に来て、奨学金とアルバイトと節約で頑張って、暮らしを送っているだけだ。
このような考え方は5年が経ったにもかかわらず、あまり変化がなかったようだ。
先週週末5、6年も連絡したことがない親類に電話してみた。「あなたはどこから電話がかかってきたのか」と親類のおじさんに聞かれ、「日本からです」と私は返事した。「あっ、日本か?日本にいるなら、金持ちになれるだろ」といわれた。ショックを受けた私は「いいえ、まだ学生です、お金が稼いでないし、金持ちになるのが難しいですね」と返事した。すると、「いやや、学生としても、時給などが高いから、金持ちになれるだろう」とこちらの気持ちを理解しようとしないまま、話は続いた。
暖房をつけた部屋にいながら、私は冬の寒さを感じた。肌で感じているのではなく、心で感じた。
なぜ日本イコール金持ちなのか私は理解できない。私は日本に6年近く生活しているが、普通の日本人は生活のために、精一杯で暮らす人が多い。食料が高く、家賃なども高い。時給は多くの発展途中国より確かに高いが、ぎりぎりで生活を送っていることって金持ちとはいえるだろうか。
5年前に、日本に留学することを決める時、自国の知り合いたちがみんなびっくりした。「日本に留学?!金持ちね」とよく言われた。本当は金持ちなんで、私には遠い。ただ、自分の力で頑張って、働いて日本留学する目標を実現したく、留学しただけである。
これから、日本に来て、また周りの日本人が驚いた表情を見せ、「日本に留学できるっていうことは、李さんは金持ちの家で生まれたでしょう」。こんなことがない。私は小学校に通うためでさえ、借金をしなければならない寒村で生まれた。日本に来て、奨学金とアルバイトと節約で頑張って、暮らしを送っているだけだ。
このような考え方は5年が経ったにもかかわらず、あまり変化がなかったようだ。
先週週末5、6年も連絡したことがない親類に電話してみた。「あなたはどこから電話がかかってきたのか」と親類のおじさんに聞かれ、「日本からです」と私は返事した。「あっ、日本か?日本にいるなら、金持ちになれるだろ」といわれた。ショックを受けた私は「いいえ、まだ学生です、お金が稼いでないし、金持ちになるのが難しいですね」と返事した。すると、「いやや、学生としても、時給などが高いから、金持ちになれるだろう」とこちらの気持ちを理解しようとしないまま、話は続いた。
暖房をつけた部屋にいながら、私は冬の寒さを感じた。肌で感じているのではなく、心で感じた。
なぜ日本イコール金持ちなのか私は理解できない。私は日本に6年近く生活しているが、普通の日本人は生活のために、精一杯で暮らす人が多い。食料が高く、家賃なども高い。時給は多くの発展途中国より確かに高いが、ぎりぎりで生活を送っていることって金持ちとはいえるだろうか。

